考察
かみ合わせとアスリートのパフォーマンスについて
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メディアに登場する多くのシーンやアスリートによるコメントから、スポーツにおける噛みしめ様相や下顎位は、多様であることが知られている。
例えばテニスの錦織圭選手はAPF通信で、「運動時の下顎の位置は多様であり、各個人は、そのパフォーマンスを発揮しやすい位置に下顎を固定して競技をする。その位置が噛みやすい場所(咬頭嵌合位)とは限らない。」と、伝えている。
まず筋の運動制御について触れ、咬合と運動の関連について整理してみる。
「咬合」は咬頭嵌合位における上下顎の緊密な咬合接触から、下顎の偏心位における軽微な接触までを含めて用いる。また「下顎位」には、上下の咬合接触のない下顎位を含む。
身体が目的にあった動きをするように、身体諸機能、特に骨格筋の活動を調整することを「運動制御(Motor control)」という。運動制御にも随意、不随意がある。不随意的運動制御は、反射や自動運動による無意識的運動調節を意味する。
随意運動では目や耳などの感覚器から送られた情報が、大脳皮質の感覚野 -連合野(前頭前野)-運動野を介して、脊髄の運動ニューロンを興奮させて筋収縮を起こす。小脳は運動の発現に関わるが、主な働きは「どのようにするか」という運動のコントロールである。
中枢神経系に流入した情報が、大脳皮質レベルを経由せずに、脊髄や脳幹(中脳)レベルで短絡して流出する場合は「反射」であるが、反射運動は意思が関与しない運動だから随意運動に比較して反応が素早く、一定している。
骨格筋の筋繊維は、引き伸ばされた分だけ戻る自動的な調節機能を備えている。この働きを「伸張反射(stretch reflex)」という。神経系は生体内の変化に感受し、その物理的・科学的エネルギーを生体信号に変換する受容器(receptor)は骨格筋内にある筋紡錘である。
伸張反射はまた、筋の長さを一定に保とうとする機能をも有する。例えば、直立姿勢中の身体重心を保持するのに、この足関節の伸筋群である下腿三頭筋の伸張反射が重要であるとされている。微弱な筋長変化も筋紡錘は感知し、一定の姿勢を保持する。膝下部脛骨神経に単一電気刺激を与えると、ヒラメ筋に脊髄レベルでの伸張反射による筋電図が誘発される。これは「ホフマン反射(Hoffmann Reflex:H反射)」である。
噛みしめが骨格筋へおよぼす影響は、これまでの研究から、強く噛みしめることにより頸部の筋が緊張することがわかっており、それは最大噛みしめの80%以上で特に強くなることが示されている。また、前脛骨筋のH反射の促通からも、噛みしめることは伸張・屈筋が共縮して非相反性に筋活動を亢進させ、関節を固定するのに有利に働き、噛みしめは、円滑な運動よりも姿勢維持に貢献すると考えられている。
身体運動時の顎位と噛みしめの様相について考えてみると、顎位のコントロールは主に側頭筋によるところが大きく、かつ前部筋束と後部筋束が相反性に活動している。これは顎を大きく開口しているときには顎を後方へは引きづらく、前方位に位置したときには側頭筋の咬合力が抑制されることになる。したがって背筋力発揮からみると、顎位としてはあまり開口せず、咬頭嵌合位付近に位置することが効果的に思える。しかし、これも筋力を発揮する状況と姿勢によって、姿勢反射の影響を受け変わることが考えられる。
身体運動時の噛みしめの有無については、運動の種類と状況において噛みしめが関与している場合と関与していない場合があり、また個人差が見られることが指摘されている。しかしながら、運動中の咬合接触を調べることは大変難しく、咬合圧感圧シートの保持の困難さもある。したがって、咀嚼筋活動から推測することになる。近年、側頭筋、咬筋の閉口筋のみならず、開口筋である顎二腹筋の活動状況も報告されるようになり、主働筋と拮抗筋およびそれらの共縮を考慮しつつ、運動中の顎位や噛みしめ様相について推測しやすくなった。外側翼突筋の活動状況がわかれば、さらに理解しやすいと思われるが、測定が難しい。これまでの側頭筋、咬筋の活動量は、噛みしめ指示のない背筋力発揮時で30~40MVC%とされ、スポーツシーンでは上下の歯が接触している。あるいは口唇や舌を噛んでいることが考えられる。これに開口と下顎を後方へ牽引する顎二腹筋が共同筋として強く参加した様相が示唆される。
すなわち、単に咬頭嵌合位で噛みしめているだけでなく、姿勢反射の影響を受けて閉口筋、開口筋、歯、顎関節の協調により、状況に応じた下顎の位置に固定が図られている。
Gibbsらによれば、種々な食品の平均的咀嚼力は最大咬合力の約40%であるという。
さらに、パフォーマンス発揮時には開口していることも多くみられることから、その場合の下顎の固定支点として顎関節が考えられ、スポーツにおける顎関節への負荷も意識しておいた方が良いと思われる。
噛み合わせとアスリートのパフォーマンスアップには、テンプレートやスプリントの装着が一時注目されたが、一致した見解は得られておらず、全身を使う動的運動における筋力に対する有効性はいまだに明らかにされていない。
噛みしめが筋力に与える影響については、等尺性の静的運動においては有意な効果が示されている。一方、動的運動において、噛みしめは負の効果を示す。したがって、咬頭嵌合位での噛みしめ指示は姿勢反射の影響の少ない、すなわち比較的動きの少ない姿勢において、有効なアドバイスになると思われる。噛みしめが骨格筋へおよぼす影響で述べたように、相反性神経支配が噛みしめによって乱れる可能性があり、そうなった時には筋放電の交代性はみられず、拮抗する2つの筋の放電が重なるようになる。すなわち、共縮が生じ関節は固定される。連続した円滑な動作や呼吸が必要な競技においては、噛みしめ指示は有効とはならない。噛みしめは主に等尺性運動に効果的と考えられる。
また咬合と身体機能については、スプリントを用いた実験や長期にわたる調査から、咬合支持領域の確保が重要であることが示唆されており、噛みしめや姿勢に応じた下顎の固定が、日常生活動作に密接に関わっている。
マウスガードが筋力に与える影響についても、これまでのところ有意に筋力が向上する見解はない。しかしながら、ノンコンタクトスポーツにおいても急速に使用者が増加しており、その理由として、上下の歯と歯の接触が弾性装置により遮断される安心感、また噛みしめやすくなることから、下顎を安定させるのに有効である、などが挙げられる。
スポーツと競技そのものが歯や歯周組織の多大な負荷を掛け続け、顎口腔組織を損傷することは、例外を除いてほとんどないと言っていい。
歯を失う原因は外傷や歯周疾患、齲蝕である、また、強い精神的なストレスにさらされる選手に対して、競技中・競技外での無意識の頻回な噛みしめや、夜間のブラキシズムなどに注意・警告し、対応することが必要である。
最も重要なのは、パフォーマンスを発揮する際に、下顎を状況に応じて最適な位置へ瞬時に位置決めする、あるいは滑走運動することができる整備された歯列・咬合(歯並び)及び、健全な顎口腔組織であることである。
参考文献
1)大岩陽太郎:顎口腔系の状態と全身状態との関連に関する研究―咬合支持領域の大小が背筋力および咬筋筋活動量に及ぼす影響、日大歯学、69:542-551、1995.
2)中島一憲:顎口腔系の状態と全身状態との関連に関する研究―咬合支持領域の大小が頸部後屈筋力と頸部筋および咀嚼筋筋活動に及ぼす影響、補綴誌、41:593-603、1997.
3)高梨雄太:噛みしめが投擲競技者の運動能力に及ぼす影響、スポーツ歯学、13:75-80,2010.
4)中禮 宏:噛みしめと握力発揮特性の関連性、口病誌、70:82-88,2003.
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